TALK#2 パラダイムシフト時代を生き抜く企業経営 株式会社シグマ代表取締役 山本 和人 × ミズキ代表取締役 水木 太一 × 大手広告代理店代表取締役 横井 司

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PROFILE

山木和人

山木 和人
株式会社シグマ代表取締役

1993年株式会社シグマに入社。 取締役・経営企画室長を経て2012年代表取締役社長就任。唯一の製造拠点である福島県会津、そして取引先のある海外を行き来する。音楽や哲学、そしてアートなどカルチャーへの造詣も深い。

水木太一

水木 太一
株式会社ミズキ代表取締役

メーカー勤務を経て1998年ミズキ入社。2008年代表取締役就任。「世界に通用する部品メーカー」をコンセプトに掲げ、積極的なグローバル展開とともに、ミズキブランドの構築を進めている。2017年には新社屋が完成し、今後より一層の事業拡大を計画している。

横井司

横井 司
広告代理店代表取締役

他社企業での勤務を経て1993年入社、2011年代表取締役社長に就任。マーケティングとプロモーションのトータルエージェンシーの経営者として時代の「半歩先」を読むことを常とし、広範囲な分野への興味と知識の持ち主。絶妙なトークで、3人の中のムードメーカでもある。

ITからAIへ、急速な技術革新とともに、今産業界全体でパラダイムシフトが起こっています。技術だけでなく、ビジネスモデルにおいても、企業は大きく発想の転換を求められる時代です。
今まであたり前だったことが、そうでなくなる時代を生き抜くため、経営には何が必要なのか。
カメラ・レンズのメーカーでありながら、ユニークな新製品を発表し注目を集めている株式会社シグマ代表の山木和人氏、マーケティング分野で数多くの小売系企業をプロデュースしている広告代理店代表の横井司氏、老舗部品メーカーの株式会社ミズキ代表の水木太一の三者によるクロストーク。

1.創業者から経営を引き継ぐという宿命

今回は、水木社長と同年代でもあり、15年来のお付き合いがあるというお二方にいらしていただきました。皆さんに共通するのは、創業者から経営を引き継がれた二代目、三代目社長だと伺っています。
プライベートでも親しくされているとのことですが、どのように出会われたのでしょうか?

山木和人
水木
山木さんがきっかけなんですよね。
山木
横井さんとは20代後半、銀行主催の経営者を対象とした勉強会・異業種交流会で知り合ったんです。
様々な年代の方がいらっしゃったのだけど、最年少で家も近く、講師に質問するのも我々だけだった(笑)ということもあり、仲良くなったんですよね。
その頃、ある部品の納期で本当に困ったことがありまして、大手カメラメーカーの方に相談したところ、「それなら株式会社ミズキさんに連絡してみたらいいですよ。きっと打開策を提案してくれると思いますよ」と、紹介してもらったんです。その後すぐに、僕から水木さんの会社に電話をしたんです。
水木
お電話いただいた次の日には、工場まで来てくださったんですよね。
山木
そうそう思い出してきました。対応してくださった水木さんと話しをする中で、どう見ても同じ年代であることや同じ沿線に住んでいるということで、きっと共通点があるはず!と思ったんですよね。
なので打合せが無事に終わり駅まで送っていただいた車中で、年齢や出身校などしつこく聞いたんです。そうしたら横井さんの卒業された学校と同じで、しかも同学年。あれ、待てよ、もしかしたらと思い、「横井さんって知っていますか?」と言ったら、「なんでその名を!」と。それから3人で会うようになったんですよ。
横井司
横井
それまで水木さんとは、卒業以来誰かの結婚式などで会うくらいだったんだけど、ある日、突然山木さんから「水木さんのこと知ってる?」とメールが来て、「なんでその名を!」と(笑)。
水木
それから15年も経つんですが、今でも定期的に会い、経営的な話もプライベートな話もとことんする仲なんです。

いち早い環境対応が生んだ、株式会社シグマとのビジネス

運命的な出会いを生んだ山木さんですが、その当時、(株)ミズキさんにどのようなお仕事をご依頼されたのでしょうか?

山木
今まで使っていた部品が、ヨーロッパの環境対応をしていなくて困っていたんです。
紹介されて電話をしたところ、(株)ミズキさんは環境対応をいち早くされていた。そして「すぐにPDFで図面を送ってくれ」と。
普通なら、やれ契約書だのNDAだのと実行するまでにかなりの時間や手続きがかかるんですが、とにかく水木さんは、お仕事の進め方がものすごく速かったんです。
次の日、工場に着くなり「これですよね」と欲しかった部品の類似サンプルを出してくれて、すぐに「やりましょう」と仕事が前進しました。あの時は、ものすごくリーダーシップを感じました。
次期社長になられる方なのに、部品以外の専門知識も大変詳しくて、うちの技術者と対等にお話しをされていた。僕も生まれ変わったら水木さんになりたいなとそのとき思ったんですよ(笑)。
水木太一
水木
(笑)。そう言っていただけて光栄です。今だから言えますが、最初はもっと簡単な案件だと思っていたんですよ。
本当は阿吽の呼吸で対応しなくちゃいけないところで手こずってしまい、ご迷惑をかけてしまったんですが、何とか納めさせていただいて。
山木
そうでしたね。でもとにかく(株)ミズキさんはアクションが速いから問題なく進められましたよね。
当社の工場は福島県会津にあり、全製品をそこで作っているだけではなく、ほとんどの部品も内製しているので、長い間お付き合いしている会社さんが多いんですよね。さきほど水木さんがおっしゃっていましたが、長い付き合いになると「阿吽の呼吸」で仕事を進めていく場面が多くなるので、新規参入が難しいのが現状なんです。
なので、新規の会社さんには、図面を見せただけで「やりません」とか「このコストでは見合いません」と言われたりすることが多かったのですが、水木さんは「すぐにやる」と即断。一緒にお仕事を進める中で、その柔軟性と対応力はすごいなと思いました。
水木
ありがとうございます。中小企業は本当に差別化が難しくて、今の時代「できないもの」はなかなかないと感じています。
初代社長の頃は、地域との家族ぐるみの繋がりから仕事が生まれたということもありましたが、今は世界がマーケットになった。だからこそ、僕の世代からは他社よりも一歩でも早い対応、そして不良品ゼロといった、お客さんが「ここに頼んでよかったな」と思ってくれるプラスワンをご提供できるように努力しているところです。
水木太一 山木和人 横井司

2代目社長と時代の変革

山木さんと水木さんは製造業、横井さんは広告業と業界は異なりますが、お互いに刺激を受けることはありますか?

水木
ありますね。特に最近はみんなが2代目社長になったので、飲み会でも仕事の話が増えてきましたね。
山木
社長になったのは、水木さんが一番先でその次に僕、そして横井さんだったよね。水木さんと僕はおやじが亡くなってから社長になったんだけど、横井さんのところはご存命の内に事業継承されていたんだよね。
横井
そうそう、うちの父は現役の時にすべての役職から引退して、社長を私に引き継いだんですよ。

それはどういう理由があったのでしょうか?

横井司
横井
自分の感性や気力が鈍ってきたという言い方をしていましたね。責任も権限もすべて引き継ぐという形で、私に社長業を引き継がせました。
水木
それってすごいことですよね。クリエイティブな仕事をする中で、自分の限界を感じてぱっと引退できるって。
横井
そうですね…このあたりは創業者だからこそのセンスの良さだと思いますね。私どもの商いは、お二人の会社のように、仕事に対する確固たる技術力や培ってきた基盤が、何歳になってもあるといった業界ではないんですよね。
時代の変化の影響を大きく受ける業種なので、10年ごとに業務内容やアプローチ方法がかなり変わってしまうんです。60代になってこの変化をつかむのはまだできると思うんだけど、70歳になって業界に関する業務を最先端で仕切るには、本人もいろいろな限界が見えてきたのではないかなと。
水木
業種的にもグローバル展開されているから、移動距離も長いし、体力的にも大変だよね。
横井
それとともに、コンプライアンスやPDCAのチェックなどが厳しくなり、時代とともに経営者としての在り方が変化してきた。そういう部分に頭をまわしながら増えていく社員も見ていくという点からしても、現役のうちに新しい代へ引き継ごうと思ったんだと思います。

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